2017年08月06日

「閉じこもり」から抜け出すにはー9回目

私は公務員上級職試験の心理職に合格し、法務省矯正局の採用になりました。初めは大阪少年鑑別所鑑別課、次は大阪刑務所分類審議室に勤務しました。
私が大阪少年鑑別所に勤めたころ、カール・ロジャースの非支持的療法であるカウンセリングがわが国でも知られるようになりました。
私は京都大学文学部で心理学を専攻しました。それは私自身が対人恐怖を体験し、心の問題に関心があり、「心理学を学ぶことで解決に役立つのではないか」という期待があったからです。
しかし、敗戦後の心理学はアメリカ心理学の大きな影響を受けたものでした。「心理学も科学として成立することが必要だ」という行動主義心理学です。
ネズミの学習行動の実験が重視されていました。
行動主義心理学はパブロフの条件反射を根拠にしています。ですから、私の心の問題については全然役立ちません。
それでも、心理学科の主任教授は矢田部達朗先生であり、人間的にもスケールが大きく、学問的にずば抜けておられました。5冊ほど、大著を出版しておられました。
喉頭がんの手術後で、体調も悪いのに、手でのどの手術痕を押さえて講義しておられました。
私が、先生の定年退職後の次期教授ポストの争いに巻き込まれたとき、先生は事情を知り、私を助けてくださったのです。学問的にはとても厳しいけれど、先生の暖かい面を体験したのです。
アメリカでは、カウンセリングが広がるまでは、精神分析が流行していました。
精神分析は医学過程を終えてから学びますから、精神分析医になるのは30代になります。そのため、精神分析は高額でしたが、高額な精神分析を受けているということはステイタスシンボルになりました。それに対してもっと低額で、もっと効果の出るカウンセリングが提供されたのです。
私が就職してから、文学部のなかの教育学が教育学部として独立し、やがて臨床心理学の講座が設けられるようになりました。
私のカウンセリングは我流でした。プロのカウンセラーとして独立できるのに長い宗教遍歴などをしました。
生涯の師戸なった故・木村裕昭医博にであったことが私の人生の大きな転機になりました。
posted by テツ at 17:21| Comment(1) | 日記